先週最終回となった、NHK朝の連続テレビドラマ“おちょやん”を毎朝楽しみに観ていました。
波乱万丈の浪速千栄子さんの人生がモデルです。
私の世代(50代半ば)では、オロナイン軟膏のCMとかで見た程度です。
戦前の女性が、今よりはるかに厳しい生活、人生を強いられていたことを痛感させられます。
物語の序盤では、酒と博打におぼれてどうしようもない父親が連れてきた継母が妊娠、
主人公の千代ちゃんはわずか9歳で奉公に出されてしまいます。
継母はひどい女として描かれます。
しかし、終盤、行き場をなくした千代ちゃんを救ったのはその継母でした。
継母の頼みで、千代ちゃんは異母妹の娘(姪)の世話をするために3人で暮らすことになるのです。
千代ちゃんにとって、憎んでも憎みきれない継母ですが、彼女は手をついて昔のことを千代ちゃんに心から謝ります。
継母と姪と暮らすなかで、千代ちゃんは継母が字を読めないことを知ります。
また、昔、父親に連れられてきた時に継母が三味線以外ほとんど何も持っていなかったことを、千代ちゃんは思い出すのです。
そして、“この人もうちと同じような人生だったのかもしれない”と思ったのです。
フェミカンのテーマに「母娘関係」というものがあります。
最近では「毒母」という言葉もあるようですが、母と娘の間に起こる(母と息子では見られない)葛藤です。母親が自分の人生を娘に重ねたり、育ちの中でジェンダー規範をより強固にしたり、娘は見えない糸で母親に人生を操られていると感じたり。。
でも大切な親子、という関係性の中で、簡単には抜け出したり距離を取りづらい、
などという母と娘に特有の関係性があります。
この「母娘問題」に葛藤を抱える女性が苦しみから抜け出すためのひとつの視点は、
『母もまた、男性社会の中で苦しんだ被害者なのだ』と腑に落ちることだと思います。
千代ちゃんの言葉の中に、私は、女性同士の繋がり(母と娘のシスターフッド)を見たのでした。
このドラマの場合、千代ちゃんが救われた大きなカギは、継母から娘に心からの詫びがあったからなのかなと思いました。
ドラマ“おちょやん”では、単に継母を悪い女で終わらせるのではなく、
継母の苦難の人生を、多くを語らず千代ちゃんと視聴者に気づかせてくれる、素敵な脚本でした。