スタッフのひとりから、フェミカン神戸との出会いをブログで発信したい、と嬉しい声があがり、
早速、記事を送ってもらいました。
おそらく、どのスタッフも、もしかするとこのページを読んでくださっている皆さんにもそれぞれの
フェミニズムやフェミカンとの出会いのストーリーがあるのだと思います。
出会ってくださり、ありがとうございます♡
・・・・・・・ 以下、投稿記事です ・・・・・・
子どもの頃から、犯罪被害者や冤罪のニュースを見ると、心がざわついた。
20代で芝居をやっていた頃、声なき声を代弁するのが演劇、と公言していた。
アドヴォケイトという言葉は知らなかった。
四肢に障害のある兄と共に育ったが、家の中は関西弁とノリツッコミが日常で、笑いが絶えなかった。
ただ、父が患った心の病は私が高校生の時に悪化、幻聴から刃物を向けるという最悪の事態に至った。
私の身体の真ん中には、文字通り一生消えない大きな傷が残った。
その頃はまだ、自分が後にフェミニズムに救われるとは思ってもいなかった。
外からは「何不自由ない満たされた人」と思われていた私は、自分ではずっと「マイノリティ」だと感じていた。
ケアが必要な兄と父のいる家庭の中で、私の心が折れてはいけないとぼんやり考えていた。
母は芯の強い人で、妻としての役割を過剰に引き受けていたことは今になってわかるが、私には強い心の支えであり、それは今も変わらない。
40歳を過ぎてから、結婚・育児で理不尽な思いを重ねる中、フェミニズムという考え方があることを知った。
「弱者が弱者のまま尊重される」思想は、障害のある兄やその仲間と共に生きてきた私が求めていたことと通じた。
NPO法人フェミニストカウンセリング神戸に参加し、理解を深めた。
トラウマについて学んだ。
あの日以来、厳しい現実の時ほど他人ごととしてやり過ごした私に起こっていたのは、トラウマ反応だったのかもしれない、と気づいた。
人生のあちらこちらで自ら選んだと思っていたことは、実は選ぶように仕掛けられていた。
何時間も泣いたのに何も浄化されなかったのは、悲しみではなく怒りに満ちていたからだと腑に落ちた。
誰しもトラウマを抱えていて、でもそんな私たちはつながることができると思えた。
そしてわたしは、トラウマを抱えて生きていてもいいのだと思えた。
今、各所で出会う相談者を「あなたは、わたし」と思う。
わたしはやっと自分のために生きている。