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祝・フェミニストカウンセリング学会30周年

1月31日は日本フェミニストカウンセリング学会30周年記念対談・シンポジウムでした。

日本の女性学のパイオニアである上野千鶴子さんはよく「日本のフェミニズムは外国フェミニズムの輸入ではない」と言われます。
日本のフェミニストカウンセリング(以下FC)も、河野貴代美さんが海外で学ばれた「Personal is Political」 の理念を軸に
その技法は河野さんがクライエントからの学びを重ねるなかで、得た独自の技法だそうです。
今日のシンポジウムでは、そんな”裏話”や、FCの始まり、時代背景、今後の課題、など幅広い内容を
お聞きできました。

その河野さんはじめ、今回登壇されたおひとりおひとりが、どのようにFCを実践してこられたのかを伺いながら、
私達のルーツを作って来られた諸先輩方のエネルギーを感じ、
大きな流れの中にある現在地としてのFC、自分たちの役割にも思いをはせた時間でした。


Personal is Politicalは、女性の苦しみを個人の心理的な問題のみに帰せず、社会的・政治的な構造により生み出されたものだ、と言う視点です。

極端な言い方かもしれませんが、この視点がないと、医療機関で投薬のみを続けたり、自分の心にだけ向き合うカウンセリングをしても、苦しみはなくなりません。むしろ、苦しさを自分のからだや精神や心の弱さのせいにしてしまい、余計に苦しくなることもあります。
ですので、FCでは個人の心理のみを扱うのではなく、問題を外在化する視点をクライエントと共有し、心理的な支援とソーシャルワーク的な支援を提供します。そして、社会運動を伴う活動です。

性役割の内外からの縛り、雇用問題、DVや性暴力被害、、FCを活用していける場面は今もなお社会にたくさんありそうです。
多くのクライエントさんが、自分の内部(身体や心)や外部(対人関係や社会)で起きていることを、フェミニズムやジェンダーの視点を交えながら捉え直し、言葉にしていくことで、
自分や周りに対する見え方が変わり、行動が変わっていかれます。

私たち自身も、自分に向き合い、日々更新を続けながら支援を続けていきたいと思います!

電話相談を終了します

20年以上、毎週月曜日に開設しておりました
「女性のための電話相談」は2023年3月末をもって終了することになりました。
残りの相談日はあと2日。2/20と、3/13に開催予定です。

これまで毎年100件近くのご相談を受けてまいりました。
たくさんの方にご利用いただきありがとうございました。

対面でのカウンセリング(有料)は引き続き、随時ご利用いただけます。
オンライン(zoom)でご自宅などから受けていただくこともできますので、よければご利用ください。

カウンセリングのご予約は「カウンセリングを受けたい方へ」よりお申込みください。

出会い♡

スタッフのひとりから、フェミカン神戸との出会いをブログで発信したい、と嬉しい声があがり、
早速、記事を送ってもらいました。

おそらく、どのスタッフも、もしかするとこのページを読んでくださっている皆さんにもそれぞれの
フェミニズムやフェミカンとの出会いのストーリーがあるのだと思います。
出会ってくださり、ありがとうございます♡

・・・・・・・ 以下、投稿記事です ・・・・・・

子どもの頃から、犯罪被害者や冤罪のニュースを見ると、心がざわついた。
20代で芝居をやっていた頃、声なき声を代弁するのが演劇、と公言していた。
アドヴォケイトという言葉は知らなかった。

四肢に障害のある兄と共に育ったが、家の中は関西弁とノリツッコミが日常で、笑いが絶えなかった。
ただ、父が患った心の病は私が高校生の時に悪化、幻聴から刃物を向けるという最悪の事態に至った。
私の身体の真ん中には、文字通り一生消えない大きな傷が残った。
その頃はまだ、自分が後にフェミニズムに救われるとは思ってもいなかった。
外からは「何不自由ない満たされた人」と思われていた私は、自分ではずっと「マイノリティ」だと感じていた。
ケアが必要な兄と父のいる家庭の中で、私の心が折れてはいけないとぼんやり考えていた。
母は芯の強い人で、妻としての役割を過剰に引き受けていたことは今になってわかるが、私には強い心の支えであり、それは今も変わらない。

40歳を過ぎてから、結婚・育児で理不尽な思いを重ねる中、フェミニズムという考え方があることを知った。
「弱者が弱者のまま尊重される」思想は、障害のある兄やその仲間と共に生きてきた私が求めていたことと通じた。
NPO法人フェミニストカウンセリング神戸に参加し、理解を深めた。
トラウマについて学んだ。
あの日以来、厳しい現実の時ほど他人ごととしてやり過ごした私に起こっていたのは、トラウマ反応だったのかもしれない、と気づいた。
人生のあちらこちらで自ら選んだと思っていたことは、実は選ぶように仕掛けられていた。
何時間も泣いたのに何も浄化されなかったのは、悲しみではなく怒りに満ちていたからだと腑に落ちた。
誰しもトラウマを抱えていて、でもそんな私たちはつながることができると思えた。
そしてわたしは、トラウマを抱えて生きていてもいいのだと思えた。
今、各所で出会う相談者を「あなたは、わたし」と思う。
わたしはやっと自分のために生きている。